2011年12月24日土曜日

病院の話

こんにちわ。おかげさまで今日も元気です。




水戸市の某整形外科で働いてる僕の先輩が、
エピソードをくれたのでアップさせていただきます。








3.11当時、先輩は病院の別棟で患者さんとリハビリ中だったそうです。
揺れが大きくなるなか、とっさの判断で、一番に出口を確保し、
患者さんを外に避難させました。


でも、病院は整形外科。足が不自由な方もいっぱいいます。






1階はもちろん、2階でも3階でも、階段を上がって患者さんをおんぶして下まで降り、
また上がって…。足腰の強い、男性の若い看護師が少ないこの病院では、
元剣道国体選手のこの先輩が、患者を避難させるチームの中心となって動いていました。



そんな中、ある1人のおばあちゃんを運んだ時の出来事が、
すごい記憶に残っていると言ってました。胸が熱くなったと。











そのおばあちゃんは、80歳を超えるご長寿さん。
でも、足が不自由で、歩行は困難。

この時も、先輩におんぶされて外に避難し、
体温を下げないように布団にくるまっていたらしいんだけど、



ふいに、『ちょっと、おにいちゃん』と、先輩を呼び止めたらしい。


『どうしても取りたいものがある。もう一度病室に戻して』。

なんど断ってもなかなかひかず、お願い、と繰り返していた。







でも、状況的にそれは不可能です。

だから、『僕が取りにいきますよ。なにが欲しいんですか?』

と、聞いたところ、『ベットの脇にある手提げ」と答えたそうだ。




先輩が病室まで走り、手提げを取っておばあちゃんに渡す際、
ふと中身を確認すると、

中に入っているモノはたった二つだけ。



















旦那さんの位牌と、息子家族の写真だった。






孤独な入院生活のなかで、病室に写真を飾る人は少なくないと聞いた。

このおばあちゃんも、亡くなったご主人の傍にいたいという気持ちと、
大切な息子家族の写真をおいていくことに、かなり不安を覚えたんだと思う。







震災の時ほど、『やっぱり家族』って事を感じたことはありません。


震災をきっかけに、数十年ぶりに家族全員で食卓を囲んだって話も聞いてます。



大学だったり仕事だったり結婚だったりで、いつかは家を離れるけど、
原点は、ソコだということ。地震がなかったら一生気づかないで過ごしてたかもしれないね。

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